日々のつれづれ

不惑をむかえ戸惑いを隠せない男性の独り言

科学における質と量について

ブックマークはたまる一方で、時間のある時に少しずつ読んでるけど、日々に忙殺されてなかなか進まない。

これは前から気になっていたブックマーク。

多くの社会調査論のテキストでは調査手段の選択として「質的調査」と「量的調査」を選択することがあるかのように書かれているが、少々説明不足である。そうではなく、さしあたり量的研究とその他のタイプの研究が、量的研究とどのような関係にあるのか、と考えたほうがスッキリする。

質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ

このあと、バイアスと誤差の話が続き、統計学の限界の話、理論科学の話、仮説提案型の科学と続きます。
目を通して、納得するところが非常に多くありました。
社会学だけでなく、全ての量と質に言えることなのだと思います。
私は生物統計の世界に身を置く(置こうともがいている)ので、質的解釈よりも量的解釈を強く望む傾向が強いです。
質はどうしても個人差が生まれ、汎化性が低いと思うからです。
周囲も量的解釈でないと受け入れない世界に身をおいています。

ただ、統計学が説明できることは現実の一面であることも実感しています。
モノ作りにおいて統計学は複雑な現実を全て説明できません。
「推定、検定は有意差を示すだけで因果関係を示さない」ということに悲しさすら覚えます。

それでもやはり、一般社会へ還元するためには現実の一面でしかなくても、質を量で説明することが大切と思っています。
統計学は質を量にして、見える化することが役目だと思いました。

彼の記事からもう一つ引用させてもらいます。

もう一点。日本の社会学ではモノグラフ的研究が優勢であるが、フォーマライズされた手続きを含まないがゆえに、若手研究者の訓練が難しいという難点がある。若手社会学研究者は、将来モノグラフ的研究を志向するかどうかにかかわらず、どれか一つくらいはフォーマライズされた研究の訓練を受けていたほうがよいような気もするのだが、余計なお世話なのだろうか。

質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ

直感を大切にしてほしい。
でも直感を理解してもらう(させる)ためにはフォーマライズされた研究がやっぱり必要なんです。
私も強く同意します。